ノーコード・ローコード時代におけるUXデザイナーの新たな立ち位置〜つくる人から流れを設計する人へ〜

ノーコード・ローコード時代におけるUXデザイナーの新たな立ち位置〜つくる人から流れを設計する人へ〜 AI

はじめに

「もうエンジニアいらない時代になる」って言われたこと、ありますよね?
では、「もうデザイナーもいらない」って言われたらどう答えますか?

Figma、Notion、Zapier、Make、Dify…
ここ数年で、非エンジニアでも“ある程度のプロトタイピングや業務自動化ができる”ツールが一気に普及しました。実際、社内や現場レベルでちょっとしたフローを「自分で作ってみた」人は増えているはずです。

その一方で、「最初は良かったけど、あとからカオスになった」という失敗談も多く聞くようになりました。この流れの中で、UXデザイナーはどんなポジションで価値を発揮すればいいのか?

本記事では、ノーコード・ローコード時代の現場を踏まえ、UX設計の役割がどう変化しているかについて述べます。

ノーコードは「自由」だが、「設計」は別

ノーコードは、従来の「誰かに依頼して作ってもらう」工程をスキップし、自分で「まず動かしてみる」ことを可能にしました。これは間違いなく良い進化です。

しかし、、、問題はこうです。

  • ユーザー視点が抜けたまま作られる業務フロー
  • 本人以外には使い方が分からないUI
  • ツールが乱立して接続ミスが頻発するシステム全体

これらはすべて、「設計がないことによるUXの崩壊」です。つまり、「つくれる」ようになったからこそ、「どう設計するか」の重要性が以前より高まっているということなのです。

UXデザイナーの「新たな立ち位置」とは?

ノーコード・ローコードが一般化した今、UXデザイナーが担う役割は以下のように広がっています。

ツールの“つなぎ方”を設計する人

UXデザイナーはこれまで「画面の中」を主に設計してきましたが、今求められているのは、ツールとツールの間」「人と人の間の接続設計です。

  • Makeで業務を自動化するなら、そのフローの分岐条件・失敗時の動き・ユーザーへの通知を整える
  • Zapierで通知を飛ばすなら、どのタイミングで誰に飛ばすとストレスが少ないかを考える
  • DifyでAIを導入するなら、プロンプト入力の導線やトーンを含めて体験設計する

これらは「作業」ではなく「体験」の設計です。

「プロトタイピング」をチームで回すファシリテーター

ノーコードの最大の魅力は、仮説検証のサイクルが高速になることです。ここでUXデザイナーが担うべきは、「UIを作る人」から「仮説を共創して試す人」への変化です。

  • PdMが出した要件に対し、「ちょっとMakeで動かしてみました」と出す
  • 現場の業務担当者と一緒に、Zapierの設定を見ながらフローを議論する
  • エンジニアにAPI仕様を依頼する前に、UI+データフローを仮構築する

もはや「ワイヤー」ではなく「動くもの」で議論するのが標準になりつつあります。

「誰でも使えるようにする」UXの守護者

誰でも触れる時代だからこそ、誰でも使えるようにするUXは一段と重要です。

  • 「どのボタンを押せばいいか分からない」
  • 「設定項目が多すぎて不安」
  • 「何か起きても原因が分からない」

これは、ツールのUIの問題ではなく、導入設計・導線・全体体験の設計ミスです。UXデザイナーは、体験全体のストレスを除去する設計者としてその責任を担うべきフェーズに来ています。

ノーコード時代に、デザイナーが軽視される理由と対処法

「デザイナーいなくても、もう作れるよね?」
「UIはテンプレートあるし、もうFigmaいらなくない?」

こういった意見に対しては、「作れること」と「使いやすく設計されていること」の違いを丁寧に示す必要があります。ポイントは以下のような問いかけです。

  • そのワークフロー、他のメンバーが見ても理解できますか?
  • 運用ルール、可視化されていますか?
  • 万が一うまく動かなかったとき、どう伝え、どうリカバリするか設計していますか?

これらはすべてデザインの仕事であり、テンプレートやUIライブラリでは代替できない“体験全体”の設計に関わることです。

おわりに(まとめ)

ノーコード時代は、「UIをきれいに整える人」ではなく、「複雑なものを、分かりやすく設計する人」が求められる時代です。私たちUXデザイナーは、FigmaだけでなくZapierもMakeも触り、DifyでAIを試しながら、「人の理解と行動を設計する専門家」として、技術と業務の間に立つ役割を担っていく必要があります。

「動くものが簡単に作れる時代」に、「ちゃんと使えるものを設計する」──
それが私たちに残された、本質的な仕事だと言えます。

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